野歩記・・・and so on.

牛柄的、野歩き。そこに在る生き物たちとの出会いと、彼らのありのままの姿を。・・・&その他もろもろ備忘録^^;

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あれから10日。

もう10日も経つのかという思いと、まるではるかな時間が経ったような感覚とが交錯している。
そして、今こうして記事を書き上げようとして、なかなか言葉が見つからない、
何を綴るべきか未だ考えがまとまらない自分がいる。
強い地震の揺れと停電、暗い夜。
次に何が起こるのかわからず、いつでも出られるようにと着替えもせず眠った晩。
ときおり車のラジオを聞きに行く以外は全く情報が入らない、不安と恐怖。
体験したものにしか解からない、この感覚。

さいわいにも秋田における直接の被害は微少だった。
しかし地震直後からの停電、そして翌朝に回復した電力にテレビを点ければ、
“情報難民”となっていた間に起きていた惨状が、繰り返し映し出され。
   ――― いったいどういうことなんだ、こんなの認めたくない、なんていうことが起きちまったんだ。
それと同時に、テレビを見続けることで、
まるでこの現状の当事者から傍観者へとスライドしていくような感覚も覚え、それに気付いて自己嫌悪にも陥り。
見る側がどう思うかをよそに、次々と明らかになっていく被害の様子を映した映像。
よかった、自分の身に起きた悲劇じゃない、という自己中感。
残った自分たちが何かをしなくては、という焦燥感。
何かをすればいい?、という焦りと、これは何かの間違いだという拒絶反応と、どこか他人事のように捉えている、自分。
おそらくそと見には冷静に見えたであろう、だが心の中では葛藤しヒステリックになっているのに気付く。
今一番つらいのは、まさしく被災した方々なのに。

この未曾有の災害に対する日本国民の姿勢に、諸外国からは感嘆と敬意の声が次々と上がっている。
だが、我侭は、どこにでもある。
意味のない買占め、必要のない買い溜め、それが今必要ですか?と問いたくなるような、
その行為が被災した方々にさらに追い討ちをかけている、ということに気付いていない浅薄な行動。
この件に関しては、感情的になってしまいそうなので、あえて言及を控えさせていただくが。

直接的な被害の少なかった秋田ではあるが、この先のことはわからない。
今この時点でも、保存のきくような食料は店頭から姿を消し、生鮮食品も一部は入荷がない。
都会のような交通網のない秋田では生活の足として車が必須な家庭も多いのに、その燃料を確保するのが難しい。
都会では計画停電だ電車が止まるからと定時繰上げで退社指示が出ても、こちらではそんな面倒は見てくれない。
さらに長期に及ぶであろう復興の途上で、経済が疲弊し広範な影響が出ることも予想されるだろう、
そうなれば経済基盤の脆弱な秋田は、なおさらその影響が大きく響くことだろう。
直接の被災地ではないけれど、副次被災地であることには変わりは無い。

それでも今、できること。
命を落とされた方々の冥福を祈り、被災した方々へ少しでも力になれればと出来ること。
インフラが回復しているとはいえ、まだ危うい自らの日常生活を、守るためにできること。
いたずらに不安がらず、不安を煽らず、知識と知恵と正しい情報とをもって、冷静に居ること。
それに今、自分たち個人々々が直接出来ることは少ない、せめて現場の最前線で戦うプロに信頼を寄せ任せ、
その銃後でしっかりと支援すること。少しの不便がなんだ、自分たちはまだ“普通に”暮らせているじゃないか。
少しの不便が、被災された方々の希望へと振り替えられるなら。

あれから10日。
回数こそ減ったとはいえ、被災地から離れた秋田でさえいまだ余震が襲う。
そしてこの、観測史上まれに見るような地震のせいで、
誘発された次の大きな地震が起きるのではないかという不安が、しばしば鎌首をもたげる。
人間が造り上げ、培ってきた文明も、ともにあった自然の美しい光景も、全てを瓦礫の山、更地に変えた
その被害の凄まじさを見るにつけ、悔しくて悲しくて、いまだ涙が出てくる。泣き叫びたくなる。
だがそんな中でもかの地にあって被災者の方々は、生きようとしている。
比べ物にならない、どれだけの絶望感があるか知れないのに。
そんな姿を見聞きするにつけ、違う涙がまた出てくる。
頑張って、とはいえない。それでは他人事だから。
頑張ろう一緒に、自分に何ができるのかわからないけど、心は共に在ることはできる。
復興への道のりは遠く近道は無く、何から手を付ければいいのかわからないほどに打ちのめされ、
この先のことを考えると途方にくれてしまうけど、きっと日本は東北は蘇る。
そう言い聞かせている。
この震災で引き起こされた全てのことを無駄にしないためにも、被災していない自分だって心を強く持たなくては。

昨日、ささやかながら募金をしてきました。
ただ街頭で「募金お願いしまーす!」と、繰り返しがなりたてている集団にではなく
(むしろ不愉快に思えてしまうのは、俺がひねくれ者だからだろうか)、
静々と受け付けていた、支援活動・募金活動の意味を個々が解かってしていると思えた某団体に託しました。
これまでどんな種類の義援金すら出したことがなかったのに、誰に強要されるでもなく募金に足を運ぶなんて、
俺にはこの震災がそうとうショックだったようです。

現地での復興への長い道のりの中で、支援の形は少しずつ変わっていくだろう。
正直、自分の中でもいつまで「自分のこと」として捉えられ続けられるのか、わからない。
だけどこの震災は自分の中に大きな傷跡を刻み、決して消えない記憶となる。
忘れることができない、忘れ去ることが出来ないのなら、せめて頭をあげて前を向こう。
この先もいろんな形で“支援”は出来る、どんなに些細なことであっても。

がんばろう東北。がんばろう日本。

bbakita-226291.jpg
   (募金したらくれたステッカー、そのコピー)



 ※一部、感情的な表現、また矛盾や支離滅裂な記載、また全体として感傷的な記述があったかもしれませんが、
  またそのために不愉快な思いをされた方もいらっしゃったかもしれませんが、ご容赦願います。
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コメント

カラスが飛んでいるのをみて、カラスは空が飛べていいねって思ってる自分がいました。

気落ちしないで、兎に角、ひとまず、今日一日、明日一日過ぎていき、日常がもどるといいですね。

ご無事で安心致しました。

牛柄さんがいろいろと葛藤されていることは、多くの人たちも同じ思いではないでしょうか。
余震の度に、遠く滋賀の地でも吊り下げた灯が揺れます。
不安にかられることで、自己中になるのは自然な心情だと思います。
私自身、思わず懐中電灯の電池を替えました。

被災していない私としては、悲しみや苦しみを共有はできないけれど、被災者の悲しみに寄り添いたいと思います。
そして、私が呆然と映像を見ている向こうで、多くの人生が一瞬にして消えてしまった、ただただその魂の行方に光があることを祈ります。


ずっと、頭が混沌としていて、どのように言葉にしたらいいのかわかりませんでした。
でも、日本中の人たちが深い悲しみや不安の中で行動しようとしていることが、これからの日本の文化、科学、教育、経済の方向を示唆している気がします。
これからやってくる再生の苦しみを耐えて、大丈夫、これからの日本はもっとすばらしい国になります。
(と、社会に影響力の無いおばさんが言っても・・・実は自分に言い聞かせているのかも)

健やかに今日一日を過ごせますように。

長文ごめんなさい。

>ピッピさん
天の高みから地を見下ろすトビの目には、どう写っているだろうと思った、今朝でした。
落ち込んでても何か違うことしてても、等しく時間は経っていきます。
ならば少しでも前向きに、ね^^

>nionさん
言い聞かせているのは自分も同じです。
きっといい方に変わっていく、今が底なら上がるしかないじゃないか、ってね。
正直、正直に書きすぎたかな、なんても思ってます(汗
柄じゃないっすよね~w
落ち込んでいる自分と、それを無視しようとしている自分とを感じることもあります。
ま、ニンゲンはその内面こそが世の何よりも複雑な存在ですからね、
ただあまり正直に吐露すると、不愉快に思ったりする方もいるだろうなぁ、と。
なのでUPするにも勇気が要りました、もしかしたらしばらくしてから、この記事は削除するかもしれません。
そのときはご容赦ください。

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牛柄

Author:牛柄
生息地:秋田
スローライフを満喫したい
若年寄。

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記事内の生き物など種類・名称は頑張って同定していますが、専門家じゃないので間違ってるのもあるやもしれません。 お気付きの点などがありましたら、ゼヒゼヒご一報ご指摘ください。 宜しくお願いします。

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